【短編】時間屋

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「時間が欲しくはないですか?宜しければお売りしますよ?」

日付を優に跨いだ深夜、オフィスに一人残る私の眼前に現れたのは、仮面の男だった。時計盤をあしらった仮面に黒いスーツ姿のその男に、怪しさを覚えない者はいない。エレベーターの動作する音も、階段を駆け上がる音も無しに、如何にしてここまで参じたのかは見当も付かないが、疲弊した私の意識はそれよりも男の発言に注がれていた。

「時間を売る?何を仰っているのですか。それと貴方の身元をまだ伺っていないのですが。」
「あぁ申し遅れました。私は『時間屋』と申す者です。あいにく名刺は持ち合わせていませんがね。先に申しましたように、あなたが望むのならば時間を提供する者でございます。」

私はしばし黙考した。この男の怪しさを差し引いてもなお、その話に惹かれてしまった自分がいた。連日連夜残業に勤しむ今の生活は、世辞にも満足とは言い難い。凡庸な才能を努力で補ってそれなりの役職を手に入れはしたが、心は空虚と言う他ない。ほとんど家にいない私に、妻子は次第に興味を無くしていった。勿論趣味にあてる時間もない。このままただ虚有縹渺な人生が続くのは御免だと胸に誓った私は、微かな希望と大きな疑念を持って男の話に耳を傾けることにした。

「私が時間を買ったとして、具体的にはどのような効果が得られるのですか。」
「はい、例えばお客様が一時間時間を買ったとします。そうしますと、お客様以外の人間の動作が止まり、お客様だけが活動できる時間が一時間だけできます。時計の針は止まり、あなただけの時間が保障されます。ですが、その間に他人に干渉する行為や法に触れる行為は控えてくださいね。そのような行為が見受けられた場合、私共は然るべき対処をしなければなりませんので…」
「なるほど。一時間いくらですか?」
「3000円になります。」

私は完全にその話の虜になり、つい口走った。

「じゃあ試しに一時間だけ買います。何か伺いたいことができた時のために連絡先を教えて頂きたいのですが。」
私はそう言いながら、名刺を差し出した。

「お買い上げありがとうございます。連絡先は不要です。ただ『時間屋』と、呼びかけてくださればいつでも参りますよ。」

不思議と男の言葉に嘘はないと信じきれた。それほどまでに何かに縋りたかったという自己の現れだったのか、騙されてもいいやという諦観だったのかは定かではないが、私はとにもかくにも一時間という猶予を手に入れた。

私は時計に目をやった。確かに秒針は動いていない。外を見渡すと、通行人は人形のように固まり、車はブリキのおもちゃのように止まっていた。どうやら本当に私は時間を「買った」ようだ。しかし一時間という短い時間をどう使うか。考える時間が勿体ないので、とりあえず目下の仕事に取り掛かった。

呆気なく一時間は去った。秒針は再び時を刻み始めた。丑三つ時に差し掛かろうというのに、道路は人と車がひっきりなしに往来している。私はなんとかタスクを完遂し、帰路についた。

私の頭は既に、再び時間を買う計画に支配されていた。仕事に、享楽に、休憩に。使い道は尽きなかった。これまで特にこれという出費もせずある程度給金のいい地位で働いてきた私には、妻と共働きなこともあって我が子を養ってもなお金には多少余裕があった。ただ余裕がないのは時間だけ。時間屋にとって私はうってつけの顧客のようだった。

私は半年に渡って、何度も時間屋を利用した。仕事をはじめ、なんにでも利用した。聞けば、数人で時間を買うこともできるらしく、家族と過ごす時間も増やすことが出来た。部下とは元来そこまで打ち解けてはいなかったため、遊びに誘うのははばかられた。なにより、疲労困憊な形相をしている部下達に、荒唐無稽なことを口走りたくはなかった。時間が買えるなどと、そう簡単に人は信じない。家族に打ち明けた時も酷く疑われたもので、私の精神の心配までされた。

また、時間屋とは個人的に親しくなった。度々飲みに行く間柄でいる。しかし、彼は仮面をとり素顔を見せることもないし、仕事の話もしない。逆にこちらから仕事のことを訊く気にもならなかった。私も束の間の休暇に仕事の話などされたくないししたくもないからだ。向こうもそうだろうと思っていた。

しかし、ある時我が子に尋ねられた一言でその気持ちが揺らいだ。

「時間屋さんって、いったいどこから時間をとってきてるの?」

深く思索してもいないだろう子どもの純粋な疑問に、私の頭は苛まれた。無論答えることはできなかった。わからないからだ。私自身気にしたことはあるのかもしれないが、元々彼がファンタジーに近い存在であると踏んでいたため深く考えたことはなかった。いつの間にか、もやもやとした何となく不快な気持ちになり、酷く気になり始めた。

翌日、いや日を跨いだため翌々日であるが、皆が帰宅しオフィスで私一人になるのを見計らって、彼を呼んだ。

「時間屋さん、いますか?」
「はいただいま馳せ参じました。ご用件をどうぞ。」
「今日は時間を買うためや飲みに行くために呼んだんじゃないんです。ただの雑談です。ちょっと訊きたいことがあって。」
「ほうほう訊きたいことですか。なんでも仰ってくださいな。」
「…時間屋さんが売る時間って、いったいどこからとってくるものなんですか?」
私は時間屋に対し、客としてではなく友人として初めて、仕事の話を持ちかけた。時間屋は心無しか俯く様子を見せた後、答えた。

「お客様。あなたはよく時間を買ってくださいますよね。では、








その逆をする方々もいると思いませんか?」



私は硬直した。それと裏腹に思考は回転を始めた。これ以上は知りたくないのに。

「はい、ご想像の通りです。私共は、時間が不要な方々に伺い、時間を売っていただくことでこの商売を成立させています。勿論、このことを知って不快感を憶えるお客様もいらっしゃいます。お客様は、どうですか?」

そう、時間屋は続けた。私は、薄々勘づいていたのかもしれない。この時間屋は、なにもファンタジックな手法で時間を供給していた訳ではないと。

私や、私の家族が買っていた時間は、他人の時間の上に、いや他人の命の上に成り立っていたものだったとしたら―

「自殺志願者、高齢者をはじめとする現世になんの未練もない方々や金銭的に困窮した方々に、時間を売っていただくことで、私はあなたに時間を売ることができています。」

―人殺し。に加担していた。いや、間接的にではあるが、人を殺めていたことに、なるんじゃないか…。

私は絶望に暮れた。勤労に、惰眠に、趣味に、団欒にあてるため買い取った時間たちが…人命の凝集であった。そう思った途端に、その時間の全てが、私の人生という時間全てが、空虚に、あまつさえ邪悪に感じられるようだった。灰色だった自分の人生は黒く塗り潰された。私の頭の中は、闇夜の田舎町のように、暗く、沈んでいた。もうどうにでもなれと、ただただ懺悔と後悔の念に駆られ、妻子のことも忘れ、暴走した私が口にした言葉は、次のようだった。


「時間屋さん、お願いがあります。」
「はい、なんなりと。」









「私の持つ時間の全てを、売らせてください。」




~fin~